≒ 今回の入院の件2
この病院、相変わらず夕焼けが美しい。
窓が大きいので椅子に座って眺めてると至福。
前は同じ配置の東側5階だったんだけど、うっとり眺めながら「もっと高い階からビル無しで見たいなぁ」と思ってた。
今8階。鉄柵の位置が視線的に高くなって、街の紅く染まった様が隠れちゃった。上手く行かないね。— smokingecho (@smokingecho) October 24, 2020
最初に運び込まれた病院は個人開業医が少し大きくなった感じの病院で、なんとかかんとか吉田病院。院長は吉田院長。
救急対応は慣れておられるようで、待たされることなく矢継ぎ早に数人の先生が診察し、点滴その他の処置をして行く。午後には大きい病院に移ることになるのだけど、膵臓炎自体の処置は吉田病院で全部終わらせてくれていた様だ。担架で処置室を色々回って行く中で、段差が酷くて何回も頭や手をぶつけたりもしたけども、腹痛でもう痛みはあんまり感じられなかったから問題ない。良い病院だった。
処置が終わり、暫くそのまま待つように言われる。診察室らしく人の出入りが多い。俺の寝ている担架の横にはお医者さんの診察室にあるような、レントゲン写真を確認するライトがビルトインされている机がある。その机の前にはよくある事務椅子。暫くしたらその椅子に白衣を着た人物、恐らくお医者さんが机に向かってどっかりと座る。自然と俺はその人物の背中を見る形になる。こちらを見ずに「院長の吉田です」結局最後まで吉田院長の顔は見なかった。
酒を飲んだと言ったらすごく怒られた。俺の持病では自殺行為だと。分かっている。とにかく、膵臓全部が炎症で真っ白。それで見えなくなっているが、恐らく膵臓癌も発症していると思う。炎症が収まるのを待って精密検査をしなければいけない。ついては、当院は入院受け入れの余裕はないので、より大きな、労災病院に移ってもらうとのこと。
俺の持病はかなりの希少難病なので、新しく大病院に掛かるのは正直面倒くさい。その難病の把握のために様々な検査が必要になるからだ。吉田院長に、労災病院ではなく掛かりつけの大病院に送ってもらうよう頼む。声からしてあまり快く思ってはいないようだったが、小一時間程でまた救急車が来て送ってもらうことになった。えらく手際の良い病院だった、吉田病院。
いつもの大病院、略して市民病院。コロナ対応で運用は所々変わってはいるけど、快適なのは変わりない。前の日寝てないこともあり、鎮痛剤が体質に合ったみたいて驚く程効いて、鎮痛剤が切れている時間帯以外はぐっすり一晩寝た。
最初の3日は絶飲食。痛みと吐き気で食欲など全く無いので問題ない。点滴から水分は大量に入っているので喉も乾かない。小便だけが大量に出る。4日目からは白湯OK。そして一昨日の金曜日に五分粥食が解禁になって、全く問題がなく腹痛と吐き気も消失したので昨晩からはほぼ普通食。
膵臓疾患なので塩分を減らしたかなりの薄味。けどここの病院食、もともと丁寧に作ってあって副菜で外れに当たったことがない。味が薄いくらいで不味くなるわけがないし実際美味い。そしてここの病院食で一番美味しいのが「ご飯」。お粥もここのは美味しかったので最後までそれでも良い位なのだけど、ご飯にしてもらえないか催促してしまった、普通のご飯が食べたくて。ここのは毎食炊きたてで、必ず温かい状態で提供される。他にも何らかの技法を施しているんじゃないかと疑うほど美味い。俺は社会人としては食品関連業界が一番長かったけど、玄人筋でアンケート取ったら近辺の飲食ランキング上位に入るんじゃないかと冗談じゃなく思う。
絶食6日は初体験だったが、ちゃんと点滴を受けてさえいればIDDMも持病にある俺でも絶食が大丈夫って知ったのは収穫だった。
最初の話だと最低でも2週間、回復が遅いと1ヶ月超えって先生は言っていたけど、思ったより治りが早かったようだ。来週前半で退院とのこと。
癌の検査とかしないのかと恐る恐る訊いたら、今の時点ではわからない。暫くの間、頻繁に検査を繰り返して変化を見ていくしかない。検査のインターバル期に入院しておく必要はないので、治療の必要がなくなり次第退院してもらうとのこと。語調からすると癌の可能性はまずないと考えているようだ。ちょっと心配。吉田院長のとこにも見てもらおうかなぁ。
以上、後半特に駆け足だったけど今回の入院経緯。当初より入院期間が大分短く終わりそうなので端折った。
20年10月25日(日)‡09時54分04秒 ‡ 身辺情報